
2011年02月11日
那覇若狭海岸
貝の渚 第六話 那覇若狭海岸 名和純
子どもの頃、若狭小学校の前に渚があった。
ずっと沖から打ち寄せてくる大波には、たくさんの子どもたちが乗っていた。
その汀(みぎわ)に貝の帯があった。
宝石のようなハナマルユキダカラや銀色のシロマダライモガイをはじめて拾った。
そのあと、従弟(いとこ)たちと駆け戻った家の屋上から見た、真っ青な水平線。
あれから20年たって僕はまた、その家の屋上に上がったけれど、
水平線は見えなかった。
そして、そのまま、誰もいなくなった従弟の家に住み着いた。
暮らしに追い詰められるたびに、僕は、若狭小学校の前に水平線を探しに行った。
でも、堤防から身を乗り出して見えるのはいつも、閉じ込められた細長い海。
車の激しく行きかうやかましい橋に、
巨大なクレーンの立ち並ぶ埋め立て地に、
城壁のような離岸堤(りがんてい)に、
幾重(いくえ)にも、幾重にも、水平線をふさがれた沈黙の海。
その水面(みなも)にむかって「助けてー!」と橋の上から叫んでも、海は答えてはくれなかった。
そんなある日、丘の上から街を見下ろして気がついた。
閉じ込められているのは海ではなくて、街だ!ということに。
ならば、この街から脱出しよう、水平線を探しに。
誰か一緒にいく人いませんか?
橋をつまみ上げ、埋立地を沈め、離岸堤を取っ払って、
その向こうの、貝の渚へ。

若狭海岸 2010年4月
ーえころん通信 2010年5月号よりー
子どもの頃、若狭小学校の前に渚があった。
ずっと沖から打ち寄せてくる大波には、たくさんの子どもたちが乗っていた。
その汀(みぎわ)に貝の帯があった。
宝石のようなハナマルユキダカラや銀色のシロマダライモガイをはじめて拾った。
そのあと、従弟(いとこ)たちと駆け戻った家の屋上から見た、真っ青な水平線。
あれから20年たって僕はまた、その家の屋上に上がったけれど、
水平線は見えなかった。
そして、そのまま、誰もいなくなった従弟の家に住み着いた。
暮らしに追い詰められるたびに、僕は、若狭小学校の前に水平線を探しに行った。
でも、堤防から身を乗り出して見えるのはいつも、閉じ込められた細長い海。
車の激しく行きかうやかましい橋に、
巨大なクレーンの立ち並ぶ埋め立て地に、
城壁のような離岸堤(りがんてい)に、
幾重(いくえ)にも、幾重にも、水平線をふさがれた沈黙の海。
その水面(みなも)にむかって「助けてー!」と橋の上から叫んでも、海は答えてはくれなかった。
そんなある日、丘の上から街を見下ろして気がついた。
閉じ込められているのは海ではなくて、街だ!ということに。
ならば、この街から脱出しよう、水平線を探しに。
誰か一緒にいく人いませんか?
橋をつまみ上げ、埋立地を沈め、離岸堤を取っ払って、
その向こうの、貝の渚へ。
若狭海岸 2010年4月
ーえころん通信 2010年5月号よりー
Posted by えころん at 19:19│Comments(0)