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2011年02月10日

二見浦

貝の渚 第五話        二見浦     名和 純

正月に実家に帰省したついでに二見浦まで足を伸ばした。
沖縄では拾えないサクラガイを教え子たちにプレゼントしようと思い立ったのだ。

大阪から特急列車に乗って3時間足らずで二見浦についた。
ずいぶん近いと感じる。
あの頃、二見浦は外国のように遠かったのに。

198X年3月26日、僕は高校のクラスメイトSと自転車で旅に出た。
雪の峠を越え、盆地を抜けて、いくつかの町と村々を通り抜けて平野をひたすら突っ切って、
二日目の昼にようやくたどり着いた二見浦。

そこには、どこまでも明るくやさしい海が待っていた。
その汀(みぎわ)に沿って波型の紅(あか)い帯が描かれている。
それは、無数に打ち上げられたサクラガイの重なりだった。

Sが無線で海の向こうと交信している間、僕は貝拾いに熱中した。
そして、水平線のかなたを見つめながらSと未来を語り合った。

あれから僕は沖縄に暮らし、島々の渚を旅して歩いた。
Sはバイクを持って大陸に渡っていった。

2010年1月2日、二見浦。
サクラガイの帯はなくなっていた。
浜の端まで歩いて、やっと色あせた古い半片が3枚見つかったにすぎない。
海は死んでしまったのだろうか。

海風が肌を刺すように冷たくなってきた。
その時、水平線のかなたから海鳥の大群が姿をあらわした。

彼らは、編隊を組んで、大蛇のように躍動しながら海とたわむれている。
それにしばらく見入(みい)っているうちに、身体(からだ)のなかに熱いものがみなぎってきた。

それが、口から海の匂いとなって溢(あふ)れ出した。
僕は身をもって、この海の底知れぬ力を知った。

滅びつつあるのは実は海ではなくて、人々の暮らしなのかもしれない。
サクラガイの帯は、いつかこの渚に蘇(よみがえ)るだろう。
そのときまでヒトは、生き延びることができるだろうか。


二見浦





あの日の二見浦 
1984年3月29日










二見浦
 





二見浦 1984年3月29日











ーえころん通信 2010年3月号よりー



Posted by えころん at 19:16│Comments(0)
 
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